弔辞
こんにちは監督の渡井です。
菅さんの弔辞感動しましたね。何度見ても泣けてきます。
実は私も、弔辞をあげた事があります。今回はそんな話です。
肝を冷やした思い出話です。
もう20数年も前の話です当時私の勤めていた会社の会長が亡くなった時の話です。
つまり私が30代前半の頃です、通夜式の前日の夜勤め先社長の義理の兄(後に国会議員になった人物)から突然電話が掛かってきました「渡井明日弔辞お願いするよ」???最初何を言ってるのか良く判らなかった、社葬にはしないって言っていたし、私の役目は仕事関係の参列者の受付の筈だったし、日中会長宅の勝手口ドアの具合が悪かったのを直したので、今度は障子を直してくれって言ってるのかな位に思って聞いていると どうやらそうでは無いっぽい 障子ではなくて弔辞なのだ、どうやら社長は反対したらしいが彼がどう言う訳か私に頼みたいって暴走したらしいのだ、私はそれまでに誰かが弔辞をあげる様な葬儀って数回しか経験が無いそれもちゃんと聞いたことはない、自分がその立場になるなどと思った事もないのだ、しかしあまりのも無防備な状態でのリクエストについ答えてしまった。不意打ちを喰らったのだ。やるって言っちゃったからやるしかないのです・・・・
そして当日 会長は裾野市の名士だったので人手が半端無いくらい集まって大きな斎場の大ホールでは入り切らなくて中ホール小ホールも一杯で入り切れなかった人が外にも大勢いる様な大きな葬儀になりました。ワンマンだった会長とかつて袂を分けた様な人たちも大勢駆け付けていました。そんな葬儀の弔辞が私なのです。内心 逃げ出したい気持ちで一杯です。更に弔辞をあげるのが私だけではなくて、議員さんとか頭取さんとか団体の会長さんとかの偉い人数人です、もっと言うと なんと私が大トリだと言うのです。此処まで来ると逆に開き直ってやるしか無いって思えてきました。
私の前の人たちは その紙どこで売ってるのって位長い紙を折りたたんだ物を読んでいます
こんな感じのやつ
場慣れしていて流暢に話ます そして長い 流石です。
私はと言うと 手ぶらです。ノープランです。アドリブなのです。準備する時間も無かったし(あっても多分準備しないけど)そもそも うっすらしか弔辞って判らないし 出たとこ勝負しか無いのです。
兎に角あわてずにゆっくり喋る事を心掛けて会長に話しかける様に喋る様にしました。
会長に反発しながらもイヤイヤ言う事を聴いたら結果それが正解だった話などをしました(菅さんと同じ感じ 若干パクられた感ありw)最後は会長の意思を継いで頑張ります的な事を言って締めました。
ゆっくり喋ったけど前の人たちから比べたら随分と簡単な物でした。
終わって振り返ってみると、社長一家 号泣 かつて袂を分かった人達 号泣 その他大勢 号泣 でした。
自分の出たとこ勝負強さに驚きました。
翌日 ある銀行の朝礼で私の弔辞の話を取り上げられたと聞きました。
何でもやってみる物だなと思いました、
今考えても冷や汗物ですが
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1.匠屋の想い
一緒にご飯を食べ、お風呂に入り、会話をし、思い出を作る。そんな暖かい生活の場が『家』だと考えます。10の家族がいれば、10の生活がある。ひとつひとつの家族のライフスタイルに合った家づくり、『終の棲家』を建てる本当の建築を目指します!
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2.自然素材
日本が世界に誇れるもの。それは伝統に根付いた「自然との共生」を土台にした環境への取り組みです。匠屋では自然材をふんだんに使った家づくりをご提案いたします。自然にも身体にも優しい素材で、皆様の未来を優しく包み込みむのです。
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3.熟練の職人
素晴らしい技術を持つ職人さん、最高の素材を提供してくれる業者さん、そして匠屋で家を建てられたお施主さん。
思いをこめた家づくりを、空間工房匠屋と一緒に行う人々の事です。